〈「レジリエンス(Resilience)」とは、危機に対処する社会の回復の意味です〉

【発言録】「国民の命と生活を守る武道館1万人大会」

お知らせ
  1. 大会概略
  2. 【主催者挨拶】国民の命と生活を守るため、速やかに「緊急事態条項」の条文起草を
      1. ニューレジリエンスフォーラム会長 三村明夫
  3. 【来賓挨拶】憲法改正 選択肢示すのは政治の責任
      1. 自由民主党総裁 岸田文雄
  4. 【能登半島の被災地から】「災害でも医療を止めない」能登半島の被災地から
      1. 恵寿総合病院理事長 神野正博
  5. 【提言】「平時」から「緊急時」へのスイッチを
      1. ニューレジリエンスフォーラム企画委員長 日本医科大学特任教授 松本尚
  6. 【意見表明】災害・感染症対策は「オールジャパン」で
      1. 日本医師会会長 松本吉郎
  7. 【意見表明】「明日は我が身」
      1. 厚生労働省 健康行政特別参与、法務省 特別矯正監、警察庁 特別防犯対策監 杉良太郎
  8. 【意見表明】テント村を即決できなかった日本の行政
      1. アルピニスト 野口健
  9. 【意見表明】首都直下・南海トラフの巨大地震に如何に備えるか
      1. ニューレジリエンスフォーラム共同代表 関西大学特別任命教授 河田惠昭
  10. 【地方議員からの意見表明】地方議員3314名の署名を受けとめ、緊急事態対応の条文化を
      1. 北海道議会議員 大越農子
  11. 【各党挨拶】緊急事態に国民を守り抜くための改正案を
      1. 自由民主党・憲法審査会与党筆頭幹事 中谷元
  12. 【各党挨拶】緊急事態にも国会が役割を果たすために憲法の改正を
      1. 公明党・憲法調査会会長 北側一雄
  13. 【各党挨拶】緊急事態条項は4党1会派でほぼ合意している
      1. 日本維新の会代表 馬場伸幸
  14. 【各党挨拶】皆さんと一緒に危機に備える新しい憲法を
      1. 国民民主党代表 玉木雄一郎
  15. 【閉会の挨拶】災害に強い町づくり国づくりへの出発点に
      1. ニューレジリエンスフォーラム共同代表 日本医師会名誉会長 横倉義武
  16. 参加者アンケート回答より
  17. [コラム]被災地の救援活動を支えたトラック協会による緊急物資の輸送

大会概略

全国各地より1万231名が結集

ニューレジリエンスフォーラムによるブロック大会、県民大会等の啓発活動の広がり、政府・各政党への4度にわたる提言活動を踏まえ、令和6年5月30日、「国民の命と生活を守る武道館1万人大会」が日本武道館にて開催され、全国から1万231名が結集しました。
司会は語り部の平野啓子さん。オープニング映像では、「鎮魂と復興」と題して、江戸時代に津波から村を救った浜口梧陵の「稲むらの火」のエピソードなどを映像で紹介。

能登半島地震の犠牲者への黙祷を捧げ、ソプラノ歌手の野々村彩乃さんによる国歌独唱に続き全員で斉唱して開会しました。
三村明夫会長(日本製鉄株式会社名誉会長)は、主催者挨拶にて、「国難災害に備え、平時から緊急時へと転換出来るルールと法整備、及びそれらの根拠規定である憲法に基づく緊急事態宣言、すなわち緊急事態条項の創設が強く求められている」と訴えました。

岸田総裁が「全力で取り組む」と決意表明

岸田文雄自由民主党総裁は、国会で論議となっている憲法の緊急事態条項については「自民党として、国会の発議に向けた具体的な議論が前に進むよう、全力で取り組んでゆく」と表明しました。
大会では、能登の復興支援を大きく掲げ、「能登半島の被災地から」と題して石川県七尾市の恵寿(けいじゅ)総合病院の神野正博理事長が報告、続いて松本尚企画委員長(日本医科大学特任教授)が、これまでの活動・提言を紹介しました。

杉良太郎氏や野口健氏らが意見表明

その後、「感染症と自然災害に強い社会を」テーマに各界より意見表明が行われました。医療界から松本吉郎日本医師会会長、自然災害に際してボランティア活動を展開している厚労省健康行政特別参与の杉良太郎氏、アルピニストの野口健氏、防災の専門家として河田惠昭関西大学特別任命教授が、それぞれの立場から発言しました。
地方議員の取り組みとして、緊急事態条項を求める地方議員署名3314名、地方議会決議32府県の成果が発表され、出席した地方議員320名を代表して大越農子北海道議会議員が、意見表明を行いました。

自民・公明・維新・国民4党へ決議文を手交

大会決議(3頁~4頁参照)を採択の後、各政党代表に決議文を手交し、党派を超えた取り組みを要請。自民党の中谷元・衆議院憲法審査会筆頭幹事、北側一雄・公明党憲法調査会会長、馬場伸幸・日本維新の会代表、玉木雄一郎・国民民主党代表が決議文を受けて挨拶しました。
最後に横倉義武共同代表(日本医師会名誉会長)が閉会の挨拶を述べ、武道館大会は盛会のうちに幕を閉じました。

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【主催者挨拶】国民の命と生活を守るため、速やかに「緊急事態条項」の条文起草を

ニューレジリエンスフォーラム会長 三村明夫

 「国民の命と生活を守る武道館1万人大会」の開催にあたり、一言ご挨拶申し上げます。
 まずはこの度の開催にあたり、格別のご尽力・ご支援を賜りました、関係諸団体の皆様に心より感謝申し上げます。
 また本日は、岸田文雄内閣総理大臣をはじめ国会議員の皆様にご臨席を賜り、また全国知事会及び都道府県議会議長会、地方議員の皆様、各界を代表する大勢の皆様が、このようにここ日本武道館にご参集いただきました。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。
 ニューレジリエンスフォーラムは令和3年6月、「感染症と自然災害に強い社会を作るため、広く各界と連帯し、緊急事態に対応する国民的議論を推進する」という趣旨のもとに、医療界・経済界・防災・自治体・福祉関係など、各界代表のご賛同をいただき発足いたしました。
 「レジリエンス」とは、危機に対処する社会の回復力を意味し、これまで緊急事態に対応する「提言」を政府・各党に4度にわたり提出し、「医療提供体制の整備」や「医薬品の緊急承認制度」などが実現したところでございます。
 また全国9ブロック、21の都道府県において、ブロック大会・県民大会を開催し、地域に根ざした啓発活動も推進しております。
 さて、能登半島地震から間もなく5ヶ月を迎えます。今なお3千人を超える方々が避難生活を余儀なくされております。被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
 能登半島地震は、日本列島のどこの地域に暮らしていても、常に自然災害・地震リスクと隣り合わせであることを明らかにしました。
 我が国は、過去1500年間で、死者千人以上の巨大災害が99回、すなわち15年に1回も発生し、明治以降の160年の間にも、死者3千人以上の巨大災害が8回発生し、その度に幾多の困難を乗り越えてきました。
 101年前、大正12年の関東大震災の発生直後、東京商工会議所初代会頭の渋沢栄一は、民間有志による救護復興のための組織、「大震災善後会」を結成し、被災者救済を支援し、寄付金事業にも奔走いたしました。
 「困窮者への迅速で細やかな配慮は、民間だからこそ可能になる。我々で、内外の実業家に 寄付を呼びかけ、積極的に資金を集めようではないか」と訴え、民間の義捐金を救済事業に迅速に活用いたしました。
 また当時の政府は、大震災発生後3ヶ月間も帝国議会が機能しない中、憲法に基づく緊急政令を15本発することで、被害者救済のための食料調達支援、被害者の租税免除を次々と実施し、国民の命と財産を守りました。
 災害による被害軽減のためには、自助・共助・公助が必要なことは、私たちは大きな災害の度に教訓として学んできました。
 今後、首都直下や南海トラフ等の巨大地震が懸念されますけれども、国難災害に備え「平時」から「緊急時」へと転換出来るルールと法整備、及びそれらの根拠規定である憲法に基づく緊急事態宣言、すなわち緊急事態条項の創設が強く求められております。
 国会議員の皆様には、現在、憲法審査会で審議されている緊急事態条項について、国民の命と生活を守るため、速やかに「条文起草」の段階に入っていただきますよう、強くお願い申し上げます。
 感染症や自然災害への備えは、国と地方の制度を整えるとともに、広く国民が認識し行動に移すことにより、自らの命と生活を守ることが可能になります。
 本日のこの大会が、災害に強い町づくり、国づくりへの新たな出発点となることを強く祈念して、私の挨拶といたします。

【来賓挨拶】憲法改正 選択肢示すのは政治の責任

自由民主党総裁 岸田文雄

 会場にお集まりの皆様、こんにちは。自由民主党総裁の岸田文雄です。
 「国民の命と生活を守る武道館1万人大会」の開催にあたり、一言ご挨拶を申し上げます。
 より充実した災害対策、感染症対策の実現に向けて、それぞれのお立場でご活動いただいている皆様方に心から敬意を表します。
 我が国はその自然条件から、地震・台風・豪雨等の様々な災害が、場所を問わず発生しやすい環境にあります。また本年は年初から能登半島地震が発生し、半島という地理的制約がある中、孤立集落の発生や大規模なライフラインの途絶など、大変困難な事態への対応を強いられてきました。
 復旧・復興への取り組みは、今も現在進行形で進んでいます。災害が激甚化そして頻発化する中にあって、また未知の感染症危機がいつまた起こるか分からない、そういった中にあって、災害等の緊急事態に強い国づくり、これは大変重要な課題です。
 政府としてもこれまで、組織体制や法制度の見直しを含め、様々な取り組みを進めて来たところですが、今回の能登半島地震についても、復旧・復興に全力で取り組むとともに、発災直後の一連の対応について振り返りを進めているところであり、そこで得られた教訓を踏まえ、様々な新技術等も活用しながら、災害対策の一層の強化を図って参ります。
 国と地方自治体や、各種業界団体、ボランティア団体等との効果的な連携のあり方などについても、不断の見直しを行って参ります。
 また、本日は自由民主党総裁としてお招きをいただいている事から、憲法について少しお話をさせて頂きたいと思います。
 今、三村会長からもお話がありましたように、衆参の憲法審査会において憲法改正に関する様々な議論が行われてきており、中でも緊急事態条項については、相当程度議論が煮詰まっているとの報告を受けています。
 災害の時代とも言われる昨今にあって、緊急事態の中で、国会など国家の機能が維持できるかどうかという事は大変現実的で、そして重要な課題となっています。私も多くの災害対応を経験してきましたが、平素から様々な事態を想定し、準備をしておかなければ、いざという時の対応をすることはできません。
 例えばこれまでに現行憲法の下で、国会議員の任期が直接問題となった事例はないかもしれませんが、不測の事態はいつでも起こり得るものです。
 現行憲法が施行から77年の間、一度も改正されていない中にあって、現行の憲法で不足している点が無いか、不断の見直しを行っていく事は大変重要であると考えますし、それが責任政党としての責務であると考えています。
 憲法改正は国会が発議するものですが、最終的には主権者たる国民の皆様が国民投票で決めるものであり、主役は国民の皆様です。
 社会が大きく変化し、憲法改正がますます先送りの出来ない重要な課題となる中にあって、国民の皆様に選択肢を示す事は政治の責任であり、いたずらに議論を引き延ばし選択肢の提示すら行わないという事になれば、責任の放棄と言われてもやむを得ません。
 国民の皆様に早期に選択肢を示すためにも、憲法審査会の場などで具体案をベースに議論が前に進む事を心から期待しておりますし、自民党としても国会の発議に向けた具体的な議論が前に進むよう全力で取り組んで参ります。
 結びに、国会での議論を加速させていくためには、憲法改正を求める国民の皆様の声も大変重要です。自民党は国会での具体的な憲法論議と、国民の理解の深化、この二つを車の両輪として位置付けており、全国各地での対話集会などを通じて、国民の皆様と憲法について共に議論をし、そして憲法改正についての理解を共に深めて行きたいと考えております。
 本日のこの大会が、国民全体で災害対応を考え、さらには憲法についての理解を深める、そのような貴重な機会になる事を心からご祈念申し上げまして、私のご挨拶とさせていただきます。本日は誠におめでとうございます。

【能登半島の被災地から】「災害でも医療を止めない」能登半島の被災地から

恵寿総合病院理事長 神野正博

 皆さんこんにちは。私は、能登、七尾に住んでおります。全国から、1月1日の発災以来、たくさんのご支援を頂戴しました。本当に有難うございました。
 さて、私はこのニューレジリエンスフォーラムの発起人の一人でございます。感染症、災害対策、大変だよねという話をしていたところが、まさに被災者になってしまったという事であります。そういった意味では、両方の思いを重ねながら話を進めていきたいと思います。
 石川県七尾市で震度6強の地震がありましたけれども、「災害でも医療を止めない」という思いで、私たちは1月1日から活動してきました。そのために何をしてきたのか、というお話をさせて頂きたいと思います。
 BCMとBCP*、残った資源を最大限活用するという考え方が必要だったのではないかと思っております。「いつものBCM」「もしものBCP」。普段からのマネージメント、そして「もしもこうなった時にプランをどう立てるのか」ということが必要です。「想定外を想定せよ」という考え方で、私たちは作ってきました。
 最初は2016年に作り、その後、2020年まで何回か改定をしてきました。この中には、実際に水はどう備えるんだとか、電気はどう備えるんだ、あるいは非常用自家発電はどう備えるんだと。それからエレベーターは動くのか動かないのか、トイレは使えるのかどうかといった事も含めて、こと細かに想定してきた訳であります。
 まさにこの、目に見えない投資というものは大きくなりますけれども、基本は二重化という事が必要です。
 私たちは2007年の能登半島地震で1回被災しております。その時にも、今回ほどではなかったですけれども、建物等が損壊している部分がございました。また2011年の東日本大震災で、医療をやっている東日本大震災の被災地の仲間に、私はたくさんヒアリングをいたしました。

 まず建物。新しい建物は免震建築にして、しかも海のそばにありますので液状化対策をやる。それから水は二重化する。水道と井戸水です。井戸水は普段から水質検査を行って、飲めるかどうかを確認していた訳であります。今回、私たちの病院に水道水が来たのは3月1日です。2ヶ月間、私たちは井戸水で医療を守りました。
 それから電気は2回線受電。それから避難路として屋上ヘリポートも作りました。それから、「防災協定」というものを医療関係者、あるいは物流・薬品それからエネルギーといった所と結んだ訳であります(図の5,6,7,8)。
 また、私どもの持っている関連施設で、福祉避難所が作れるようにしておいたということであります。救急外来に来られて、普通なら点滴1本をして帰って下さいという患者さんでも、避難所に帰れないという方がいらっしゃる訳です。でも病院に入院してしまうと、救急患者を受け入れられないということになります。そこで私たちは、40床の福祉避難所をすぐに作って、そういった方々に移動して頂き、安心を提供しました。
 そして最近話題のICT/DXです。例えば業務用のスマートフォン。これも今回私たちの病院の中でスマホだけで色んな仕事が出来るという仕組みを作っておきました。去年の4月に、この仕組みを作っておいたという事も当たったのかなと思います。
 そして(発災したのが)16時10分でありました。
 私どもの病院は4つの建物からなっておりますけども、本館が免震でありました。そして3病棟、5病棟、ローレルハイツというのも耐震であります。耐震建物は大変なことになりました。建物そのものは損壊しておりませんけれども、棚が落ちる、天井が落ちる、水道管が破裂する、ボイラーがひっくり返る。ただ、免震棟につきましては、棚のもの一つも落ちずに医療を継続出来ました。

 これが罫書き記録と言いまして、どれだけ動いたかという記録版が、この免震棟の地下にございます。この1番長いところで、南へ約20㎝、ご覧の通りぐるぐるぐるぐる回ったというのが、今回の能登半島地震の大きな特徴でありますし、この軌跡を取ることができたという事であります。まさに能登の軌跡でありますし、私たちにとっては奇跡的にこれに耐えた病院だったという事になったのかなと思います。
 普通ならば災害によって平時に比べますとドンとサービスレベルは落ちて、そこから徐々に復旧させるということでありますけれども、医療は消防・警察といったところと同様に平時の医療を継続しながら、復旧もしながら、そして緊急医療もやらなきゃいけない。仕事量が大きく増大する事になる訳です。「速やかな災害対策本部の設置」と「指揮命令系統の一本化」、そして「非常時とは常時ではない」という考え方が必要で、その中で使える資源をどう使うかという考え方が必要かなと思います。

 これ病院の入院患者数のグラフであります。災害と共に病院のキャパは少なくなりました。耐震棟の入院を取れなくなった訳です。免震棟に作った仮設病棟によってキャパ以上の入院患者さんを受け入れました。そして、1月11日、緊急復旧で耐震病棟を仮復旧させて、そしてドンとキャパを上げて救急対応したというようなグラフでございます。
 まさに今回のフォーラムにも繋がる訳でありますけれども、私たちにはスピード感が必要です。そして情報と決定の一元化が必要であります。正直言いまして、やはり市町のレベル、県のレベル、あるいは国のレベルといった、縦割り行政といったものの弊害を感じざるを得ない訳でありますし、そして災害復旧の司令塔と、そこに対する権限の付与というものは、極めて重要だということを現場にいて強く思った次第であります。
 今回は、過疎地であり、そして超高齢地域でもあります。そこで元に戻してどうするんだというのが能登であります。「元に」ではなくて、過疎地の未来の医療、過疎地の街づくりというものが、今必要ではないのかなと思います。「日本の未来が早くやってくる、未来を創る」という考え方が必要なのかなと思います。
 七尾市は道路がガタガタです。下を向いて歩かないと転んじゃいます。先のことを考えると、ずっと下を向いて私たちは歩いておりました。3月18日、ブルーインパルスが来たんです、能登に。私たちは初めて上を向くことが出来ました。

 「上を向いて行こう」。能登は上を向いて行きたいと思います。東京は全く平時です。どうかどうか皆さん、こういう災害に見舞われた能登があるんだということを忘れないでください。お願いいたします。
*BCM(Business Continuity Management)企業が緊急時でも事業を継続するためのマネジメント手法。BCP(Business Continuity Plan)『事業継続計画』。

【提言】「平時」から「緊急時」へのスイッチを

ニューレジリエンスフォーラム企画委員長 日本医科大学特任教授 松本尚

 ニューレジリエンスフォーラムの発足の経緯と、これからの目標・提言についてお話をさせていただきます。
●新型コロナの教訓
 2020年、コロナの感染症が拡がりました。当時、私は千葉県で医療に従事しておりましたが、千葉県庁の医療対策本部で指揮を取ってくれと言われまして、3月31日に県庁に入りました。そこから、病床と医療従事者たちを如何に確保するか、それらをどのように配置するかという仕事がスタートした訳ですけれども、これがなかなか簡単に確保できませんでした。
 そこで、どんどん増えてくる患者さんを収容するために、大きな臨時病院を作ろうという計画を提案し、実行しようというところまで行きました。ところが、医療施設を作るということになりますと、大きな問題が持ち上がりました。当時で言えば、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」「医療法」あるいは「建築基準法」「消防法」その他多くの既存の法律による規制というのが壁となって立ちはだかったのであります。
 県庁職員の皆さんと、この規制を一つ一つクリアしながら、臨時病院を作るという作業を進めていた訳ですけれども、結果的に、課題をクリアした時には、もう既に第1波は収まっていたという状況でございました。
 国民の皆さんの命と健康を守るための法律というのが、ある意味邪魔になったと言ってもいいかもしれません。そういったことが、大きな課題として私の中に残った。これが、このニューレジリエンスフォーラムとの関わりのスタートでございます。
●東日本大震災の教訓
 フォーラムが立ち上がった後に、関係団体から多くのヒアリングを行いました。その中で、例えば、東日本大震災において、災害緊急事態の布告というのが、「災害対策基本法」の中には出来るようになっている。しかしながら、布告が行われませんでした。
 この緊急事態の布告が行われますと、価格の統制、物品の配給、金銭債務の支払いの延期、こういった事ができるにも関わらず、それをやらなかったがために、実は金銭債務の支払いが滞ってしまって辛い思いをされた方々、あるいは被災地の物価が著しく上がってしまったり、色んな問題が生じたことが明らかとなりました。
 なぜ布告をしなかったかと言うと、後々の訴訟の回避をするためだというのが一つの原因だったそうであります。
●オールハザード型の司令塔を
 この他にも、コロナ禍以降「内閣感染症危機管理統括庁」が設置されました。これは「感染症法」を改正した訳でありますけれども、何ゆえに感染症だけ特出しして、緊急事態に備えるような体制にしたのか、ここのところの政府の説明が、まだ十分ではないと思います。
 国民の生命と健康を守るためには、自然災害であれ何であれ、目的を一つに、医療面で統括するものを大きく一つにして、司令塔機能を一元化するということも必要ではないか、こういった議論も企画委員会の中では起こってきた訳であります。
●自治体と業界団体との素早い連携を
 また、各種団体の皆様が自然災害の際にはボランティアで支援活動をしていただいております。しかしながら、それぞれの団体がそれぞれの地方自治体と協定を結んでいる形になっているんですけれども、それぞれの団体とそれぞれの自治体、これらが複雑にモザイクのようになっていて、全国どこへ行っても同じような支援というのがなかなか届かない可能性がある。このことは、国が主導して、あるべき形をしっかり提示するということも必要だろう、そんな議論も起こったわけであります。
●「平時」から「緊急時」への切り替えを
 そもそも我々は、「平時」の法律でもって「緊急時」に対応してきました。今回のコロナ禍でも同じであります。法律を都度々々改正しながら、あるいは新しく立法しながら行って対応をしようとしてきた訳でありますが、これでは迅速性に欠け、また国会がもし開かれないような状況である時には全く対応ができないという事態も招きかねません。
 そこで、「平時」から「緊急時」のスイッチを、その上位法である憲法にもしっかりと設けることで、既存の法律が確実に実行され、かつ立法機能をしっかり維持するためには、政府による「緊急政令」や「緊急財政処分」もできるようにしておくことも、持っておく必要があるのではないか、こういったことを第4次提言で提案をさせて頂いているのであります。
 第4次提言ではこういう文章を示しました。
 「我々は災害や感染症に打ち勝ってそれを跳ね返す耐震構造の社会ではなく、しなやかにそれを受け止めて、そしてしっかりとそれを跳ね返していく免震構造の社会を作るべきである」
 こういったしなやかな社会を作るためにも、この「平時」から「緊急時」のスイッチを、我々が憲法の中に持っておくということも含めて、しっかりとルール作りを進めていかなければいけないと思う訳であります。

【意見表明】災害・感染症対策は「オールジャパン」で

日本医師会会長 松本吉郎

 我が日本は、いつ巨大地震が発生してもおかしくない国です。また、東日本大震災での原発事故のように、巨大地震は、複合災害に至るリスクを抱えています。さらに、昨今の豪雨災害の激甚化、頻発化は、ご承知の通りです。
 そして、少子高齢化によって、被害はより深刻なものとなります。地方の過疎化は、医療資源の縮小、孤立集落の点在、インフラの劣化、支援の担い手不足を引き起こします。他方、大都市圏の高齢者の増加は、災害時の要配慮者の急増につながります。
 こうした状況では、次の新興感染症がパンデミックを引き起こした時にも、同様に、大変な事態が想定されます。また、「ワンヘルス」という言葉があります。感染症対策には、人間と動物の共通の対策も重要です。感染者の拡大が、災害時に避難所で起きた時には、要配慮者の生命・健康が危機にさらされます。したがって、災害と感染症には、オールアプローチ、オールジャパンで対応しなければなりません。
 それが、ニューレジリエンスフォーラムの目的と言えるかと思います。「国にあらゆる災害に対応するオールハザード型の司令塔を設置し、国・地方の指揮系統を確立すること」「災害に強い町づくりを目指し、地方自治体が広範な業界団体と防災協定を結び、素早い連携が可能となるよう、国が主導して準備を進めること」を推進し、官民を挙げて、大規模災害やパンデミックに立ち向かおうとするものであります。
 例えば、令和6年能登半島地震は、高齢化率が50%を超えた地域で発生し、陸路でのアクセスが困難でした。南海トラフ巨大地震では、同じような状況の地域が多数、被災地となります。この度の震災対応は、大切な教訓を残したものと思っています。
 日本医師会は、災害医療チーム“JMAT”(ジェイマット)を石川県に派遣いたしました。1日当りチーム数の累計では、3千849チーム。同じく1日あたりの派遣者数の累計はおよそ1万2千人となりました。
 こうした多数のチーム派遣には、移動や宿泊手段の確保、道路の復旧が不可欠でした。さらに、現在の災害医療は、各医療チームが、インターネットで情報を共有することになっており、通信環境の早期の復旧が課題となりました。
 また、様々な医療関係職種の方々が、日本医師会のJMATチームにご参画いただくとともに、日本歯科医師会のJDAT(ジェイダット)、リハビリテーションのJRAT(ジェイラット)や、柔道整復師会など、独自の支援活動も大きく展開されました。
 それから医薬品、医療材料の供給や、モバイルファーマシーによる調剤支援が重要なことは、言うまでもありません。
そして、物流業界のご尽力で、トラックで必要物資が現地に届けられたことも大変重要です。
 経済界には、災害の発生から収束段階まで、それぞれのステップで支えていただくことを期待しております。被災地の復旧・復興においても、不動産、建設、流通、金融、農林水産業といった経済面での支援が不可欠です。
 もちろん、先ほどお話のあった、神野正博先生の病院づくりのように、「災害への備え」が最も大切かと存じます。日本医師会としても、医療を取り巻く様々な世界の方々と連携を取っていかなければと強く認識し、来月6月9日には、そうした趣旨に立って、次世代の災害医療に向けたシンポジウムを行う予定です。
 本日のこの会が成功裏に終わり、我が国が、感染症と自然災害に強い社会となることを、心から願っております。

【意見表明】「明日は我が身」

厚生労働省 健康行政特別参与、法務省 特別矯正監、警察庁 特別防犯対策監 杉良太郎

 杉良太郎でございます。
 地震災害が起きた場合、道路が寸断されているので火災が起きても行方不明者を救出するにしても消火栓も壊れ、消防、消防団は被災現場に立ち入ることができません。
 神戸の震災の時、私はヘリコプターで上空から6日経っても燃え盛るふるさとを見ました。ほとんどの犠牲者は焼死したのです。道路がダメでも、空から消火ができるはずです。そこで必要な『災害スクランブルシステム』についてお考えいただきたい。
 衛星、飛行機、ヘリコプター、ドローンなどを駆使し、また、連携して情報発信し、分析する。その情報を受けつつ、第二陣は火災の場合、航空消防隊が空からの消火にあたる。同時に被災者をヘリコプターで災害地以外に強制避難をしていただく。そういったときはペットも家族同然なので「ペットが一緒でないと避難しない」という方が出てきます。
 そこで開発していただきたいものがあります。携帯だけではなく、いざとなったときに位置情報を発信するものです。これを平時より身に着けさせ、その情報をもとに行方不明者の捜索をする。もはや、その町には行方不明者しか残っていない。
 これらを同時に行うには何百というヘリ、輸送機、装備が必要になってきます。このための訓練所はすでに栃木県の黒羽刑務所の跡地に用意ができています。現在のように、地震の度に行方不明者を救出できず、結果、国民の命が守れなかった、ということを繰り返してはいけません。
 また、平時より全国の市町村と協定を結び、避難所を設けておくことも必要です。そうすることで医師、看護師、介護士の大規模支援などが緩和され、避難された方々のために遮断された生活インフラをしっかりと計画を立てて復旧することができます。

 最近では線状降水帯によって川が氾濫する。山からの土砂で川底が底上げされ、川のほとんどが河川敷になっています。川が氾濫したのではなく、砂、ジャリのお掃除ができていないから水があふれるのです。地方自治体にもこれに気付いたところでは、河川敷をなくしているようです。
 国民が気を付けていても、心がけていてもダメなものもあります。国はしっかりとこのことに取り組まなければといけないと思います。
 厚生労働省の健康行政特別参与として、健康の意識づけをする広報啓発を13年やってまいりました。「肝炎の検査を受けてください、無料でやります」と声がかすれるまで叫んでも、お願いしても聞いていただけません。国が治療薬を保険適用にしていても、まずは検査を受けなければ治療さえできない。ウィルス性、アルコール性、脂肪肝などで肝硬変や肝臓がんになってから「良いお医者さんを紹介してください」と相談に来る方がいます。そこまで悪くなる前に自分の健康のことをしっかりと意識すべきです。
 どこか健康や命に対して甘い考えがあるのではないでしょうか。
感染症、未知のウィルス、どのような想定外のウィルスが現れようとも自分の健康と命の問題に正面から向き合う、日頃からの認識が大事です。それには教育が大事。たとえば、外から帰ったらうがい、手洗いをする。そういった「しつけ」、教育が大事なのではないでしょうか。
 薬は本来、高いものです。途上国においてはやっと最近、本物の抗生物質を見た、という国もあります。日本は恵まれた環境にあることに慣れすぎています。
 同じく警察庁において、特別防犯対策監として特殊詐欺壊滅のため全国的に活動しておりますが、「自分は騙されない」、そう思っている方が多く、しかし「自分は大丈夫だ」と言っている人ほど騙されやすく、路頭に迷うことになります。
 「明日は我が身」です。皆さん、「明日は我が身」なのです。なぜ人は自分のこととして、問題意識を持たないのでしょうか。
 今日、私の持ち時間は5分なんです。5分では何も語れないんです。ですから終わります。
 どうも、ありがとうございました。

【意見表明】テント村を即決できなかった日本の行政

アルピニスト 野口健

 1月、2月、3月、能登半島の支援活動を行いました。そして、昨日も能登半島のテント村にいまして、昨晩、こちらに帰って来ました。被災地の活動を続けていて、特に今回思ったことは、もし仮に日本が滅びることがあるとするならば、戦争ではなくて災害だという事を非常に強く思いました。
 地震発生後、1月11日に最初に能登半島に入りましたが、雪が降っていて非常に寒かった。僕は山をやっている人間ですから、冬用の寝袋が必要だと思い、マイナス10度くらいまで適応できる寝袋を届けようと支援活動を始めました。全国から寝袋を集めて、トータル約1万個の寝袋を、約3ヶ月かけて届けました。
 地震発生直後の1月の頃は、まだ、国や自治体の支援が行き届いていないのは仕方ないと思うのです。ところが2月に珠洲や輪島の避難所に行きますと、未だにダンボールを敷布団にして、薄い毛布で震えているんです。2月の下旬、もう流石に地元の行政から、布団とか最低限のものは行き届いているだろうと思いましたが、私の事務所に被災者の方から直接、連絡がたくさん来たんです。未だに薄い毛布で寝ていて、寝袋が欲しいと。地震から2か月近くがたっているのに、「寒い、寒い、寒い。早く寝袋を届けて。死んじゃう」というメールが来る訳ですね。その時に、「この国は終わるな」と思いましたね。それでも、頭を切り替えて、何ができるかっていうことを考えながら活動を続けました。
 先ほど杉さんがおっしゃった「明日は我が身」というのは本当にその通りで、被災地から戻ってきますと、ギャップがあるんです。例えば、自宅に帰ってきて床屋行き、髪切ってたら「被災地はまだ大変なんですか?」って言うから、「いやもう大変なんてもんじゃない」と説明しないといけない。もう最近、メディアでもやらないし、もう復興が終わったかと思ったぐらいの感覚の人が、非常に多い。その度にものすごくギャップを感じて、非常に辛かったです。
 これまで、本当に色んな地震や災害の支援活動を経験してきて思いますけれども、毎回、同じことを繰り返す。それは何かと申しますと、地震が起きてから、1から用意しなくてはいけない。僕は熊本の地震の時にテント村っていうのを作りまして、熊本は被災者約600人を受け入れました。今回の能登半島では、ボランティアがなかなか集まらない。そのためボランティアを受け入れるためのテント村を作りました。テント村はテントと場所があれば1日でできるんです。今回も七尾市に約100人が泊まれるテント村を1日間で作りました。

 私は、支援活動を行う時、被災自治体の首長に必ずお会いします。今回もこういうテント村をやらせて下さいという相談を地元自治体にしました。
 今回、大変だったのは、石川県の許可が下りなかったことです。はじめは輪島市に相談にいきました。その時に、被災自治体の首長は、ボランティアに来て欲しいからテント村をやって欲しいとなるんですね。市の場所を提供するとおっしゃったので、すぐ出来ると思ったのですが、県からの許可が下りなかった。能登半島では、ボランティアの受け入れは被災自治体ではなくて、石川県が全てコントロールしていました。そのため、ボランティアのためのテント村をつくるには、県に許可をもらわなくてはいけなかったのです。県は、道がまだ整備されていないから渋滞が起きるなど、色んな理由で許可されませんでした。次に、七尾市の茶谷市長さんに相談したら、茶谷市長はどうしてもボランティアに来て欲しいので、テント村が必要だとおっしゃいました。しかしやはり、県がノーといったのですが、茶谷市長が県庁に乗り込んで、馳知事に直談判して、そこでやっと許可が下りて、テント村が動きだしたのです。
 ですから、やっぱり平時のうちに、地震が起きたらどこにテント村を作るのかなどをまず決めることが必要ですね。ただ、テント村に関しては、毎回言われることが、どこが責任を持つのかと言われます。例えばイタリアでは、災害が起きたら3日以内に避難所としてのテント村を作らないといけないという国の法律がある。そのために、全国の地方自治体が、寝袋やテントのセットを、それぞれが備蓄しています。どこか大きな地震が起きると、周辺の自治体がテントや寝袋を運んで集まり、震災後数日以内にテント村ができる。
 この国は毎回災害が起きるたびにアタフタしますね。その時間のロスで、どれだけ人命また健康を害しているかという事をリアルに考えながら、「明日は我が身」を忘れてはいけません。この大会をきっかけに、国が責任を持って対策することを決めて頂きたいと思います。

【意見表明】首都直下・南海トラフの巨大地震に如何に備えるか

ニューレジリエンスフォーラム共同代表 関西大学特別任命教授 河田惠昭

 私は災害の研究者です。今からちょうど50年前に京都大学で博士の学位を頂きまして、その後、防災研究を開始しました。この50年かかって、やっと社会現象としての「相転移」という大きな発見をいたしました。
 でもこれが、コロナパンデミックでの、ワクチンという特効薬のような役割を果たすには、実は簡単ではありません。なぜかと言いますと、国民の理解がないと進まないということであります。
 日本国憲法に「緊急事態条項」がなければ、首都直下地震とか南海トラフ巨大地震が起こると、この国は確実に潰れるということです。
 私たちは過去1500年間、死者が千人を超えるような災害を、99回経験してまいりました。ですけれども、長い間そんなことは誰も知らなかったんです。大日本帝国憲法あるいは日本国憲法が出来た時にも、誰もそのことを知りませんでした。でも研究を進めますと、世界で我が国だけ大災害が繰り返し襲ってきています。
 能登半島地震の最大の教訓は、まさか正月の1日に、大きな地震が起こると思いってなかったことでしょう。

 能登半島地震では、震度6弱以上の地域に住んでいた人は、曝露人口と言うのですが、17万人です。でも今心配な南海トラフ巨大地震では6千100万人です。震度6弱以上あるいは津波が3メートル以上来る地域に国民の半数が住んでいるのです。
 首都直下地震でも3千万人が震度6弱以上のところに住んでいる。こういう災害が起ころうとしているのです。いつ起こってもおかしくないのであります。これは(図)国難災害の被害の巨大さであります。能登半島地震と南海トラフ巨大地震を比較しました。能登半島地震では、死者は、災害関連死を入れて282人(6月21日現在)です。でも南海トラフ巨大地震は、津波と火災と住宅全壊・倒壊で、22万3千人が亡くなる。900倍です。断水人口にしても、とても多い。
 つまり今、南海トラフ巨大地震が起こると、我々は対処できないという訳であります。こういうことを言いますと、そんなもの起こらない、と言いがちです。我が国は、「起こらないことにする」のが得意なんです。困難なことがあるとスルーしてしまう。きちんと対処しない。
 でも、もし起これば、日本は潰れるのであります。私は専門家です。評論家ではありません。50年間悩み続けてまいりました。そして、やっと特効薬を見つけました。でも、それを実行するには政治がとても大事であります。
 大災害時に、首相がトップの司令塔が、指揮命令系統を統括し、政府主導で災害対応に当たる。そして時間があれば、それを国会で承認していただく。時間がなければ首相がリーダーシップを発揮していただく。こういうことがとても重要なのです。そうなると、政府は被害の全体像を瞬時に把握できます。
 特に初動時における警察・消防・自衛隊の連携による人的被害軽減ができます。ですけれども、限界があることも事前に分かるわけです。日本国憲法に「緊急事態条項」が明記されれば、国民は安全・安心に生活するためには、政府・自治体の公助による防災・減災だけではなくて、国民の自助・共助がそこになければ達成できないということも理解できます。政府・自治体に任せておいては、この国は潰れるのであります。皆様一人ひとりが、この災害に打ち勝たなければいけない。
 仮に、国家的な対応が出来なくても、皆さん一人ひとりが生き残る、あるいは家族の命が助かる、職場の倒産を防ぐ、こういうことに力を注がなければいけないのです。
 私どもが見つけた「相転移」を利用する方法を適用して、国民一人ひとりがその重要性を理解する必要がある。そのためには、日本国憲法に「緊急事態条項」を明記しないといけない。今心配な南海トラフ巨大地震とか首都直下地震が起こると、我が国は潰れるのです。これは私たちの科学が明らかにしているのであります。でも、そのようなことを誰も経験していないので、起こらないって、それで終わってしまう訳であります。でも起こればもう取り返しがつかない、やり直しが効かないのです。
 人は命を持っています。亡くせば命は戻らない。国民の命は戻らない。そういう覚悟で、是非この日本国憲法に「緊急事態条項」を明記し、その後それに必要な法律改正をしていただきたい。
 皆さんにその協力を、是非お願いしたいと思います。よろしくお願いします。

【地方議員からの意見表明】地方議員3314名の署名を受けとめ、緊急事態対応の条文化を

北海道議会議員 大越農子

 私は、地方議員の立場として以下3点についてご提案いたします。
 第1に、大震災後の地方議員選挙と、国会議員選挙の問題点についてであります。
 東日本大震災後の4月には、統一地方選挙が予定されていましたが、被災地での選挙実施は困難と判断され、岩手県などで計71の選挙が、7ヶ月間延長されました。
 一方、熊本県阿蘇市での災害時に、参議院選挙が実施された際、地震により町が寸断され、山越えなど迂回せざるを得ず、投票所に行くのに最大10㎞かかる場合や、避難所として使用して使えなかったことなど、被災地では投票どころではありませんでした。緊急時の国会議員選挙の延長は必須であると考えます。
 第2に、自治体による専決処分と財政処分についてであります。
 自治体においては、地方自治法に、特に緊急を要する場合には、議会の承認を経ずに首長が決定できる例外措置として、専決処分が定められています。
 北海道でもこの規定を根拠に、令和2年の新型コロナ対策において、休業要請に応じていただいた道内の企業に、特別支援金を支払う事業費として、48億6千万円の専決処分を行いました。これは道内企業にとり、恵みの雨となったことは言うまでもありません。
 しかしながら、現行憲法には専決処分にあたる例外規定はありません。もし、東京都心に壊滅的な災害や有事が起こり、国会が機能不全に陥ったとしたらどうなるのか。国民の生命財産を守るためにも、憲法を改正し、緊急財政処分を定められるようにしておく必要があると考えます。
 第3に、特措法にかかる問題点についてであります。
 観光地である北海道は、全国でも感染拡大の速度が早く、国に先駆けて、鈴木北海道知事が北海道独自の緊急事態宣言を発令しましたが、その後に、政府の新型インフルエンザ特措法の下で、各都道府県知事の判断で、移動制限などの要請が行われることになりました。
 しかしながら、この特措法については、当時は罰則規定も補償金の規定もなく、実効性に欠けるとの強い指摘がなされていました。
その後、長い審議の上に特措法が改正され、罰則規定を設けるなど知事権限が強化されることになりましたが、その間、感染症は全国でまたたく間に広がっていきました。
 災害は、議会議論が終わるのを待ってはくれません。緊急時にはスピーディに都道府県知事に権限を委譲し、大いにリーダーシップを発揮できる体制を整えるべきと考えます。
 すなわち、憲法に緊急事態条項を創設し、緊急時における都道府県知事の権限を強化することに法的安定性を与えるべきであります。
 北海道では、令和4年、全国に先駆けてニューレジリエンスフォーラム北海道ブロック大会を開催し、医療界・経済界・防災の各界が結集して、災害に強い社会を作るための活動が動き出しました。
 我々地方議員は全国で、緊急事態条項の国会発議を求める議員署名を推進し、その数は3314名に上ります。
 国会は、この地方議員の声を受け止めて、党派を超えて条文化作業を速やかに行い、国民投票という国民が判断する機会を与えていただきたい。
 以上、全国の志を同じくする地方議員の皆様の気持ちを一つに、憲法に緊急事態対応を明記する国会発議を強く求める意見表明といたします。

 

【各党挨拶】緊急事態に国民を守り抜くための改正案を

自由民主党・憲法審査会与党筆頭幹事 中谷元

 自由民主党の、今国会で、衆議院の憲法審査会の筆頭幹事をさせて頂いております、中谷元でございます。
 今日はこの1万人集会におきまして、緊急事態を憲法に明記する大会決議をいただきましたけれども、本当に心強く感じます。皆様どうも有難うございました。
 国の危機管理において大事なことは、いかなる事態においても、国民の生命と財産を守ること。そしてあらゆる事態に切れ目のない対応をするというのは、国家の最大の責務で ございます。
 8年前、私は、防衛大臣をさせていただきましたが、その際、安倍総理と共に、平和安全法制を制定いたしました。この法案の制定により日米同盟が非常に強固になりました。他の国との防衛協力も非常に強固になりました。なぜなら、あらゆる事態に切れ目のない対応を自衛隊ができる、ということになった訳でございます。
 しかし、日本国憲法におきましては、緊急事態条項がありません。平時を想定した一般法の延長線で今対応をしておりますが、後追いでパッチワークのような特例法を作ったり、問題の箇所を塞ぐような対応しか出来ていないというのが現状です。
 これでは、泥棒を捕らえてから縄をなう、いわゆる泥縄。遅すぎる、手遅れになる。やはり緊急事態に際しては、国家の責任と権限を明確にして、国民を守り抜くための最大の機能を発揮させるためには、平時のルールから緊急事態のルールに切り替える、この概念を憲法に定めるということが必要不可欠でございます。
 このような問題意識の元、自民党は2018年に4項目を提示しまして、「自衛隊の明記」「緊急事態対応」「合区解消」「教育無償化」の条文イメージ案をまとめました。
 緊急事態対応については、民意を代表する国会機能を維持するための国会議員の任期延長、そして内閣における緊急政令の規定を設けた訳でございます。
 「何だ議員の任期延長か」と皆さん馬鹿にしないでください。国会議員は、衆議院・参議院、国民の意識を決定する大事な機関であります。何かあった時に国会がなかったら、国民を守る行動すら出来ません。自衛隊の活動も、国会の承認が必要でございます。
 そういうことで今、自民党、公明党、維新、国民、有志、この5会派で70日を超える長期にわたって国政選挙が困難な場合に、選挙の特例を設けて、この院の復活を図るという緊急事態条項を衆議院で取りまとめて、そしてこれを衆議院に提出して、国民投票にかけようと、まさにこの作業に全力を上げているところでございます。
 大事なのはこれからです。この改正案が、国民の幅広い理解、納得、共感を得られて、国民投票法によって、しっかりとした憲法改正が実現できる、これが目的でございます。
 多くの国民の皆さんにご理解いただけますよう、よろしくお願いをいたしまして、自民党代表としてのご挨拶とさせていただきます。

 

【各党挨拶】緊急事態にも国会が役割を果たすために憲法の改正を

公明党・憲法調査会会長 北側一雄

 ご紹介いただきました、公明党の北側一雄でございます。
 2年前の2月24日にロシアのウクライナへの侵略が始まりました。あれからもう2年以上経っている訳でございます。是非、皆さんに見ていただきたいんです。スマホで「ウクライナ最高会議」と検索してください。
 「ウクライナ最高会議」は日本の国会です。この2年余りの間、1日も休まず、国会を開いております。必要な法律と予算を通し、そして様々な活動を行っています。それがホームページに、連日更新されて出てくるんです。
 実を言いますと、このウクライナの国会は去年の秋に、任期満了だったんです。ところが、この戦火の中で選挙なんか出来る訳ありません。従って、選挙を延期し、そして国会議員の任期を延長して、連日、国会の役割を果たしているわけでございます。
 2011年の3月11日、東日本大震災が起こりました。あの時、通常国会が開かれていましたが、震災対応のために、全体で63本の法律を一気に通しました。この震災の時に、政争なんかやっている暇はありません。必要な法律と予算をしっかり通す、これをやることが出来たと思いますが、この63本の法律のうち、22本が議員立法でした。
 必要な法律を通す、必要な予算を早急に成立させていく、そして政府の役割をしっかり監視をして、また補完をして行く。それが国会の役割です。
 どんな事態があろうとも、国会がこの役割をしっかり果たして行くためには、憲法条項の改正が必要です。
 これが実現出来るように、しっかり取り組んでまいりますので、どうか皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

 

【各党挨拶】緊急事態条項は4党1会派でほぼ合意している

日本維新の会代表 馬場伸幸

 数ある政党の中でも、一番憲法改正に熱心な日本維新の会の馬場伸幸でございます。
 本日はこの1万人大会、これだけ多くの方が、これからの日本を憂いて、そしてこれからの子孫を考えて、お集まりをいただきましたことに、まず心から感謝を申し上げたいと思います。そして、大変なお手を煩わしました実行委員会の皆様方にも、心から感謝を申し上げたいと思います。
 さて、誰もが絶対に潰れない、絶対になくならない、そう思っていた江戸時代は、260年続きました。明治維新ということで、国の大きな施策として重厚長大産業を育てていく。日本を近代国家に変えていく。我々の先人たちが並々ならぬ努力をしていただきました。そして70数年経って大東亜戦争が起こり、日本は敗戦へと進んでいく訳でございます。
 もう一度日本を立ち直らせよう、そういう思いで、また我々の先輩たちが頑張っていただいて、以来77年が経ちました。この77年間、今の日本国憲法、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、3大原則によって、この敗戦後の日本の成長を支えていただいた。これは間違いのない事実であります。
 しかしながら、あの戦後の日本と今の日本を比べてみて、社会構造や人口構造、色んなことが大きく変化をいたしております。
 今こそ、今の時代に合う憲法改正を、是非やらせていただきたい。
 そして、今日のテーマである「緊急事態条項」は、憲法審査会で、自民党・公明党・国民民主党・有志の会そして私たち日本維新の会、この4党1会派が、国会機能の維持についてはほぼ合意をしています。
 そしてもう1つの柱である緊急事態の際の、何が緊急事態で、何をどうすれば円滑に国民の命・財産を守れるか、そういうことを今、議論しています。
 これも既に、国民民主党・有志の会・私たち日本維新の会が、この緊急事態に備える本体の議論は、既に終えています。
 そんなことあるはずがない。今、国会ではそういうことを堂々と言う政党があるんですね。その政党の幹部の方は、東日本大震災の時には、記者会見に出てくると「想定外のことでございます、想定外のことでございます」何度も繰り返していたにも関わらず、想定外のことは起こらないと断言をしています。
 こういう方々に、我々のこの国家と国民を委ねる訳にはまいりません。
 ぜひ、今日お集まりの皆様方を始め、日本の国を憂い、これからの子孫のためを考えている皆様方のお力で、特に与党の皆さん方に、憲法改正をせよと。もうやるかやらないかというところまで来ています。
 是非お力添えを賜りますよう、心からお願いを申し上げましてご挨拶にかえます。

 

【各党挨拶】皆さんと一緒に危機に備える新しい憲法を

国民民主党代表 玉木雄一郎

 今日はこんなに沢山の方がお集まりになって、緊急事態に備えようということで、心合わせが出来る、その意義は大変大きいと思っています。
 先ほど維新の馬場さんから、最も憲法改正に熱心な政党だという風に、自己紹介がありましたけれども、我々は多分最も熱心に緊急事態条項に取り組んできた政党だと思います。今日は、党代表の私と、幹事長の榛葉、ナンバー1・ナンバー2が共に参加している政党は国民民主党だけです。事実として申し上げます。
 我々は2020年に誕生した政党で、コロナの真っ只中で生まれた政党です。2020年の12月に憲法改正の論点整理をまとめまして、そして翌21年に衆議院選挙があり、議席を少し増やさせていただきました。その後私自身が、憲法審査会のメンバーになり、毎回発言をしております。
 そして一昨年、我が党独自の憲法改正の緊急事態の条文案をまとめて、そして昨年、維新の馬場さん、そして有志の会の北神さんを中心に3会派で、これは憲政史上初だと思いますが、野党から、しかも複数の政党で共通の条文案をまとめたというのは、かつて無いことです。この条文案を持って、憲法改正をして行こうという具体的な議論を、憲法審査会でやってまいりました。
 そして自民党さん、公明党さんとも、5つの会派ではほぼ考えが一致してきましたので、起草委員会を作って、早く条文案を固めて、発議に持っていこうという事を、衆議院憲法審査会で毎回発言しています。
 もう論点は出尽くしていますし、後はやるかやらないかです。
 ただ、政治と金の問題もあって、国会情勢は厳しいんです。もう今日を除いたら、あと3回しか衆議院の憲法審査会は今国会開かれませんから、岸田総理がおっしゃるご自身の9月の任期までの発議は、正直申し上げると風前の灯火になっています。
 だからこそ、今日こうして憲法改正の必要性、取り分け感染症や大規模災害に備える緊急事態条項の必要性を、本当に心から信じておられる皆さんが後押しをいただくことが、憲法改正を実現するためには不可欠だと思います。その意味では、今日は大変いいタイミングで開催されたと思っています。
 簡単ではないですが、いいところまで来ているので、皆さんの後押しがあるか無いかで、中谷先生も頑張れるかどうか、踏ん張れるかどうか、かかってるんです。
 いつ何があるか分からない。災害は起こらない、という人もいます。
 ただ、少しでもその可能性があるのであれば、それに備えた制度をきちんと用意しておくことが、我々政治家の責任だと考えています。
 危機に備えるため、国民から負託を得た私たちと、そしてその思いを同じくする国民の皆さんと一緒に、新しい憲法を作り上げていかなければなりません。
 今日はそうした思いを皆さんと共有して、改めて力強く、前に進めていくことをお誓い申し上げまして、国民民主党を代表しての挨拶といたします。共に頑張りましょう。

 

【閉会の挨拶】災害に強い町づくり国づくりへの出発点に

ニューレジリエンスフォーラム共同代表 日本医師会名誉会長 横倉義武

 ニューレジリエンスフォーラムの共同代表をしております横倉と申します。
 本日は、多くの皆さんのおかげで、国民の命と生活を守る1万人大会、無事成功裏に閉会を迎えることができました。格別のご尽力、ご支援を賜りました関係団体の皆様に、心より御礼を申し上げます。本当に有難うございました。
 また、自民党総裁はじめ、各政党の代表者の皆様、国会議員の皆様にご臨席を賜り、また全国知事会、都府県議会議長会、地方議員の皆様、各界を代表する大勢の皆様が、この日本武道館にご参集をいただきました。
 当初は、この大きな会場が半分くらいしか入らなかったらどうしようかと、大変心配もいたしました。しかしながら、本当に今日は、3階の一番上まで多くの皆様にお集まり頂き、本当にありがたく、心から感謝を申し上げる次第であります。
 ニューレジリエンスフォーラム発足当時は、新型コロナウィルス感染症によるパンデミックの最中であり、感染症から国民の生活を守るという事に重点を置いて活動しておりました。国民の皆様のご協力でワクチン接種が進むにつれ、コロナ感染症パンデミックの改善を見ることができました。
 しかしながら本年元日に発生をいたしました能登半島地震では、多くの方が被災をされ、自然災害の恐ろしさと、平時よりの災害対策の重要性と、発災時の緊急対応の大事さを痛感をしたところであります。
 災害による被害軽減のためには、自助・共助・公助が必要なことを、私たちは今まで何回となく起こりました大きな災害の度に、教訓として学んできました。
 今後、首都直下や南海トラフの巨大地震などが懸念されますが、国難災害に備え、平事から緊急時へと転換できるルールと法整備、及びそれらの根拠規定である憲法に基づく緊急事態宣言、すなわち緊急事態条項の創設が待たれます。
 感染症や自然災害への備えは、国と地方の制度を整えるとともに、広く国民が認識し、行動に移すことにより、自らの生命と生活を守ることが可能になります。
 本日は、各政党の代表の皆様から非常に力強い言葉をいただきました。今後政治の場で、しっかりと決めていただきたいと強い思いを持っております。
 本日の大会が、災害に強い町づくり、国づくりへの、新たな出発点となることをお祈りし、そして今日ご参集の皆様に心からの御礼を申し上げ、閉会の言葉とさせていただきます。本日は有難うございました。

 

参加者アンケート回答より

○アルピニスト野口健さんの被災地における実態のお話がとても分かりやすく、厳しい現実を知り、胸が締め付けられる思いでした。野口さんの貴重な体験を元に政治による速効性の高い対応を節に願います。河田先生のお話も大変感銘しました。私も必ず南海トラフは来ると思っています。自宅にて水や食料の備蓄をしておりますが、もっと真剣に見直して、取り組みたいと思いました。公助を受けられる前の自助・共助、大切だと思います。ニューレジリエンスフォーラムは絶対必要だと思います!
○「明日は我が身」1人1人がしっかり考えていかねばと考えます。杉良太郎さん、野口健さんの経験に基づくお話、河田教授の50年にわたる研究からのお話は胸に刺さりました。皆様のお話を聞いてますます緊急事態条項を憲法に明記することを早く進めなければ、河田教授が強く訴えられたようにこの日本がつぶれてしまうと思いました。(東京)
○野口さんが紹介された、イタリアでは災害が起きた時に3日以内にテント村を作るという決まりがあることが非常に印象的でした。何度も災害のあった日本にいまだにそのような仕組み、憲法や法律がないことに我が国の指導者たちはこれまで何をしてきたのか、がっかりしました。一日も早く憲法や法律を定めていただきたい。(東京)
○石川県の神野医師のお話を聞いて、東日本大震災を思い出しました。東京銀座のクリニックには患者さんがいて診療中でした。床が波のように歪んだのをはっきり覚えています。電源が落ちて機器が不能となり、電子カルテもダメ、清算も出来ない。全てをメモ書きで終了時間までやりました。それが数日続き、本当に大変でした。神野先生の病院のシステムを聞き、本当にそんな病院があるのかと信じられませんでした。それも被災地のど真ん中で。大変な費用が掛かっていることも想像出来ました。どんなことがあっても地域の医療を守るという強い信念と覚悟を感じ感動しました。(東京)
○河田先生のご講演を拝聴し、大規模災害による甚大な被害想定を目の当たりにし、少しでも減災できる様に平時からの取り組みの大切さを改めて感じます。(京都)
〇「平時の法制度」だけでは、「非常時」に対応できません。「非常時」に対応できる法制度を準備することの重要性が理解できました。(東京)
○地方議員からの意見表明での、大越農子北海道議会議員の力強く、理路整然とし、信念に満ちた言葉に感動すら覚えました。地方議員の矜持を知りました。(神奈川)
○国の行動が変わるくらいの取り組みができる集まりだったと思う。「平時から緊急時へのきりかえ」は大切、きまりを作る必要あり。「災害と感染症」様々な事態に対応支援できないといけない。「あすは我が身」「テント村をどこに作るが各地で準備」→それを指示にまわせる。「緊急事態条項」がないという事実を知った。国難災害!! 「公助、自助、共助」スルーしてはいけない(南海トラフ大地震)。「緊急財政出動」災害に強い地域政治を。各自治体の災害対応の部署とこのニューレジリエンスとつながるとよいと思う。(埼玉)
○国民主体のフォーラムなので、連帯感を感じました。想定外を想定内にするご発言が、とても心に残りました。わかっていますが目先のことに追われております。このような会に参加するとモチベーションが高くなります。(東京)
○日本医師会会長等が意見表明され、国民の命と生活を守るための活動は必要不可欠であり人命の尊さを強く感じました。その中で、国民の命と生活を守ためには、医薬品、食料品や飲料水等の物資輸送、仮設住宅の設置等を迅速に進める必要があり、医師による医療活動だけではなく生活必需品は滞る事をなくす事が最重要であると考えますので、物流の重要性をお考えいただきたいと思います。(京都)
○党派を超えて、あれだけ多くの国会議員・地方議員の皆様が賛同してくださっていることを心強く感じました。(千葉)

 

[コラム]被災地の救援活動を支えたトラック協会による緊急物資の輸送

能登半島地震では様々な職種の救援活動が展開されたが、その活動を支えたのが、全日本トラック協会をはじめとする物流業界の尽力であった。

平成26年に、日本医師会とともに、災害対策基本法に基づく指定公共機関に指定された全日本トラック協会では、令和6年1月1日16時10分頃、能登半島地震の発災を受け、16時55分、坂本会長を本部長とする「令和6年能登半島地震対策本部」を設置し、国が行うプッシュ型緊急物資輸送の対応にあたる。
1月17日(水)、坂本会長が斉藤国交大臣とともに広域物資拠点の石川県産業展示館4号館での緊急物資輸送の状況等を視察。また、石川県馳知事を訪問。翌18日(木)には、石川県トラック協会久安会長とともに、被災地を視察。
全日本トラック協会は、指定公共機関(大手7社)と連携し、緊急物資輸送体制を構築。
石川県、新潟県、福井県、富山県トラック協会では、県との防災協定に基づく緊急物資輸送対応を実施するとともに、各都道府県のトラック協会が緊急物資輸送に尽力し、能登半島の被災者の命と生活を支える原動力となりました。

緊急物資輸送の概要 ※主な緊急物資輸送のみ掲載
〇プッシュ型緊急物資輸送(指定公共機関対応)
輸送品目:水、食料品、生活用品、ブルーシート、段ボールベッド、パーテーション、ジェットヒーター、ガソリン携行缶、土嚢袋、携帯トイレ、消毒液、マスク、等
〇石川県トラック協会の緊急物資輸送
輸送品目:水、食料品、毛布、簡易トイレ、仮設トイレ、灯油、携行缶、発電機、等

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